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コンスタンチン・コンスタンチノヴィチ (ロシア大公) : ウィキペディア日本語版 | コンスタンチン・コンスタンチノヴィチ (ロシア大公)
コンスタンチン・コンスタンチノヴィチ(, 1858年8月22日 - 1915年6月15日)は、ロシアの皇族。ニコライ1世の孫息子の一人で、ロシア大公の称号を有した。詩人、劇作家でもあり、姓名「(Konstantin Romanov)」の頭文字から採ったペンネーム「(KR)」の呼び名でよく知られた。1889年から亡くなるまでロシア科学アカデミー総裁を務めた。 == 生涯 == コンスタンチンはコンスタンチン・ニコラエヴィチ大公とその妻アレクサンドラ・イオシフォヴナ大公妃の間の第4子、次男として、ストレルナのコンスタンチン宮殿で生まれた。長姉のオリガ・コンスタンチノヴナは、1867年にギリシア王ゲオルギオス1世と結婚した。コンスタンチンは幼い頃よりロマノフ家の男子に要求された軍人としての教養よりも、文学や絵画、音楽に興味を持っていた。しかしロシア帝国海軍での軍務に就かねばならず、大公はこれが不満だったという。やがてコンスタンチンは海軍を離れて近衛軍のイズマイロフスキー連隊に入り、同連隊では厚遇を受けた。
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